科学研究費補助金 基盤研究(C) 考古学 研究課題番号:25370894

「石鏃を中心とする押圧剥離系列石器群の石材別広域編年の整備」(大工原豊)

研究目的

概要

縄文時代の石器には、これまで独自の編年体系がなく、常に土器との共伴関係により客体的に時期を決定していた。そこで、本研究は土器編年の精度の高い関東・甲信地方を対象として、最も地域的特徴を有する石鏃を中心とする押圧剥離系列の石器群について、技術形態学的視点から石材ごとに石器群の製作工程を検討して、時空的単位としての型式設定を行い、さらに本地域の広域編年網を整備することを目的とする。石器編年網の整備により、土器が出土しない遺跡でも時期決定が可能となり、また、土器型式研究だけでは明確ではなかった縄文社会の別の側面を解明することができる。以上のように、本研究は縄文社会を重層的に理解するための基盤整備が目的であり、列島全域の広域編年網整備のためのモデル研究でもある。

①研究の学術的背景

本研究に関連する国内の研究動向と位置付け

 縄文石器研究は、本来縄文土器と並ぶ研究分野であり、石器広域編年網の整備は、社会構造や集団関係・流通などの解明に必要不可欠のものである。しかし、研究の黎明期において概念整備がなされなかったため、低い位置に置かれてきた(大工原1989・1999・2008等)。縄文石器の研究は、個々の器種を扱う「個別的研究」と複数の器種をまとめて扱う「石器群研究」の流れがあり、読み取ることのできる属性が限られる「個別的研究」では、特徴を抽出できず型式といった時空的分類概念まで止揚する事例が少なかった。

 本研究で主として扱う石鏃については、明治時代より近年に至るまで多くの研究が行われてきが、「個別的研究」が中心であり、いまだ編年も地域性も大まかに把握されているに過ぎない。また、「石器群研究」は旧石器の石器群研究を援用した田中英司による石鏃の接合資料を用いた実証的研究がある(田中1977)が、一つの事例紹介に過ぎず、他に同種の研究がほとんど行われていないため、比較・検討ができず、またそのための明確な方法論の欠如から発展しなかった。

これまでの研究成果及び本研究の着想

 申請者は問題点と検討課題を十分考慮して、実際の遺跡の資料分析をもとに実践的研究を行い、広域編年確立のための方法論を構築してきた(大工原1996・1998・2008等)。これまで定義なされていなかった「縄文石器」を定義した。また、『縄文石器研究序論』(学位論文2008・六一書房)を刊行し、その概念・分類方法・型式設定の方法など、基礎的研究と実践的研究を行い、修正も行ってきており、研究も成熟の域に到達している。 たとえば、申請者は「個別的研究」では、特徴のある関東・中部地方の局部磨製石鏃に型式を設定し、型式論の俎上に載せた(大工原1989・2006・2012)。また、「石器群研究」を発展させる必要があると認識し、自ら調査した縄文遺跡の分析・検討を通じて、群馬県西部地域の前期の石器群の技術的差異から、型式設定を行うまで進展させつつある(大工原1998)。さらに、『刺突具の系譜』(笠懸野岩宿文化資料館2003)において、本研究に先行する編年案の構築を主導した。このように、現在は縄文石器の型式研究の分野おいて、研究を牽引する役割を果たしている。 本研究の着想は、次のとおりである。縄文土器研究では相当の年月をかけて広域編年網を構築され、さらに最近ではAMS放射性炭素分析法により実年代も推定され、時空的尺度の規準が完成されつつある。この縄文土器編年の精緻さは、世界最高水準のレベルに到達している。そこで、時間軸の規準として、土器編年網を積極的に利用することが、研究の遅滞を回復する近道である。また、旧石器研究では、技術形態学的方法から石器群を研究し、石器編年網を構築してきた実績を有している。したがって、縄文土器の編年網の活用と、旧石器の「石器群研究」を併用し、縄文石器の編年網の構築することが、現状では最善の方法であると考えるに至った。

② 研究期間内に何をどこまで明らかにしようとするのか

 本研究は、実施可能な条件が整っている関東地方および甲信地方を対象地域とし、草創期から晩期に至るまでの石鏃を中心とする押圧剥離系列の石器群について型式設定と編年を行うものである。このように地域を限定するのは、ひとつのモデルケースとしての意味合いをもつからである。そして、本研究の有効性が確認されれば、これを基軸として周辺地域へ拡大することが可能である。将来的には列島全域の広域編年網の整備まで発展することを展望している。

 また、本研究では石材ごとに検討し、これは黒曜石のような遠隔地まで流通する石材と、チャートやガラス質安山岩などの在地石材により、石器製作技術や型式構造にどのような差異が認められるのかを明らかにする。その結果、集団の領域や流通形態などを明らかにすることができる。

 さらに、石器型式がどのように時間軸の連続性をもっているものなのか、石器型式の画期は土器型式と一致しているのか、異なっているのかといった両型式の歴史的特徴を明らかにしようと企図する。また、石器型式圏が空間軸ではどのように配置されているのか、近接する型式圏では類似しているのか、差異があるのか、土器型式圏とは一致するのか、異なっているのかといった社会的特徴も明らかにしようと考えている。

③当該分野における本研究の学術的な特色・独創的な点及び予想される結果と意義

 申請者の縄文石器研究の方法は、①縄文石器を「石器群」として扱い、②黒曜石と在地石材を区分し、③技術形態学的に分類し、③製作工程(式)と、狭義の石器の範型(型)に対し型式を設定し、④その型式を用いて編年を行い、⑤石器から縄文社会の時空的動態を明らかにしようとするものである。石材ごとに検討する点と、式と型といった概念で重層的に型式を設定することが本研究の大きな特徴である。この方法が現状では最も確実であり、最良の方法と考えている。

 また、すでに実績のある旧石器の石器群研究法と、縄文土器研究の精度の高い編年網を併用することにより研究成果の実現性と確実性を高めようとすることにある。具体的には、時間軸に強い土器の精度と、空間軸に強い石器の精度を接続させることで、時空的に強い石器型式を設定する方法を採用する(下図参照)。縄文石器の包含層の土器型式比率(帰属率)は土器片の個数・重量を計測して算出するので、包含層の型式比率を客観的に示すことができる。この方法により包含される石器の時期を土器型式の時期精度で確認することができ、信頼性は高いものとなる。

 また、縄文石器の分類についても、従来の用途論による分類は客観性に欠けるという弊害があるため、本研究では記号論的に技術形態学的特徴から系列という概念により大別と細別する方法を採用する。石器系列(Series)とは一連の技術で製作される一群であり、打製系列・使用痕系列・複合技術系列(磨製)に大別する。さらに、打製系列は押圧剥離系列と直接打撃系列に細別する。本研究で対象とするのは、石鏃を中心とする押圧剥離系列である。この系列は最も地域性や時期性が強く反映されるので、編年の基軸としては最適である。この系列では原石・石核・素材剥片・剥片・砕片・石器(狭義)が含まれる。これらの工程配置は時期・地域で特徴がある。ゆえに、この製作工程で製作された石器全体に対して、「式(Series Type)」という概念で型式設定できる。また、この系列では製作された石鏃・石槍・石匙など定型化された器種に対しては範型論(小林1967)的検討、すなわち石材・形状・技術の3つの情報により「型(Tool Type)」という概念で型式を設定することができる。このように、石器型式を「式」と「型」として重層的に理解することで、強固な石器型式の設定が

可能となるのである。このような縄文石器の型式概念を用いた石器編年網の整備が本研究の目的である。